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守和の観た読んだ観た

上総屋:飯田守和の感想録ブログです。 (リンク先から徐々に転載もしつつ)アレコレと感想を綴っていきたいと思います。

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井上ひさし『不忠臣蔵』


『不忠臣蔵』
集英社文庫
平成23年12月3日読了
フィクションと割り切って楽しんでいる分には文句はないのですが、半ば史実とされているのがひねくれ者としては気に入らない。『西遊記』は歴史小説で孫悟空や沙悟浄らは実在したというようなものではないの?
で、本書です。
彼らはなぜ討ち入りに参加しなかったのか、または出来なかったのかを一人語りの連続で明かしていくというのがまず面白い。そのまま舞台で観たいもんだと思ったら朗読劇として上演されたコトもあるそうで、そりゃそうだよなと納得。
各章は主題となる人物の名ですが、いずれも読み進めて行かないとその人物と語り手との関係や、時代が判らないのがミステリー仕立てのようでページを捲る手が止まらなくなります。パターンは幾つかに別れ、ブラックな笑いに包まれたモノ(ただし笑えない…素晴らしく面白いんですが)や、討ち入りその他に批判的なモノ。また一方で本家『仮名手本忠臣蔵』は知りませんがそのサイドストーリーのようなものも有ります。更には城の明け渡しに伴う実務の煩雑さや切腹の作法に始まり、アレコレの豆知識も上手く盛り込まれております。
お薦めの一冊です。
【余談】
それにしてもなぜ彼らは吉良邸に押し入り虐殺しまくったのか、理解出来ません。各登場人物の台詞を借りて言うなら内匠頭の行為は侍として下手くそ、大名としては失格。大石も家老として失格で、討ち入りなぞ残される者には傍迷惑でしかない。
現代人の感覚で裁くのは過ちの元ですが、これらは当時から判っていた筈なのになぁ?
当初の望み通りお家再興がなされていたら、せめて再士官が容易だったら彼らはそれらを捨てて討ち入りをしたのかしら?亡君の無念を晴らし公儀を批判しるのが目的ならば、とっとと討ち入って泉岳寺で腹を切りゃ良いのにさ?片付けは大変だろうけど。
【更に余談】
赤穂事件の30年だか前に浄瑠璃坂の仇討ちというのがあったそうです。標的の家へ押し入るのに徒党を組み火消し装束に身を包んでいたそうで、この辺りを大石らは参考にしたのではないか、とは少し検索すれば散見される意見です。
また敵討ちを果たした後に出頭したのも同じです。もっとも浄瑠璃坂の方は最終的に井伊家召し抱えになりますが、赤穂事件はご存知の通り。あわよくば自分たちもと考えていたのなら…ま、コレも同じ意見の諸兄が多々いらっしゃいますね。
もう一つ考えてみたい浄瑠璃坂の赤穂事件への影響として、周囲の声はどうか?
町人らの赤穂の浪士も当然やるだろう、やらない筈がない、というプレッシャー。また浪士らにしてみれば、仇討ちという一大イベントの登場人物になれるという自己陶酔も有ったんじゃないかしらん?
芥川の「或る日の大石…」などはその辺りを突いているのではないかと思うんですが。
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